そこは、特別な庭だった。
狭くも無く、広くも無い。
複雑な模様が描かれた庭石の並ぶ中央には、白い服を着、頭に布を巻いた、おじい様達が気難しい顔で立っている。
石の塊で出来た、すり鉢状のテーブル。その下には赤い光を時折見せる、炭の塊が幾つも置かれていた。
「……」
誰も話し出さない。ただ、黙ってテーブルの上にある緑の葉を、ごつごつした大きな掌で混ぜ合わせていくのだ。
時間をかけて、広がっていた緑色の葉を、丸まらせて小さくさせていく。
「……」
それは、お茶の葉を作り出す過程だ。
庭の隅に座った私は、そこから匂って来る、お茶の葉の匂いをかぎながら、御菓子の箱を開けて、中から小さな紫色の甘い菓子を口に放り込む。
自然と満足そうな顔になる自分に、何だか嬉しくなる。
皆、そんな私の様子に気付いているが、誰も何も言わず自分の仕事に集中する。
お茶の葉を作る日は、必ず晴天。
“そよ風の日”と決まっている。
私は、一人だけの時間を、そんな風に過ごした。
それは、ちょっと前までの、私の大切な時間。
そろそろ昼に差し掛かりそうな天気良好・人気の無くなった道中、朝からそわそわしながらリュックを背負っていた少女は、仲間の反応が見たくてクルリと振り向く。
「どうかしら♪」
アリィールは、嬉しそうにミニスカートをなびかせ微笑んだ。
「かわいいけど……」
コロナは、そう答えた後、狼の耳をぺタリと畳み、上目遣いでアリィール姫を見る。
昨日、やっとの事でシディール山脈を越え、近くの民宿に泊ることが出来たアリィール・コロナ・ギョクリン。
(その宿にあった、観光ガイドでも読んじゃったのかな〜?)
白銀の狼は、逞しい足をピタリと止め。
目の前で赤玉の妖精ギョクリンに微笑んでいるアリィールを、もう一度見つめる。
ピンクに淡い黄色の花が刺繍された袖の長い服に、ミニスカート。
その境は、ちょっと濃い目の黄色の帯で巻かれており、その帯にて背中には大きな蝶々結びが作られていた。
「ふふふん♪」
“かわいい”と言われ、ご機嫌のアリィールは、白いロングブーツでステップを踏んだ。
「今、西の国では、上が着物で下がスカートって言うファッションが流行っているんだって☆」
やはり、例の民宿で何か情報を仕入れたらしい。
「……アリィー……僕、あんまり……その格好“いい”とは思わないなぁ」
おずおずと、首にかけられた『僕はイヌです。 名前はコロナ』と書かれた木製の板を右に左に揺らしながらコロナは助言する。
そして、すぐにビクリと硬直する白銀の狼は、大きな山を背にした一本道で立ち止まり、人間の言葉を連呼。
「だって! だってさっ!! その服……素足そんなに出して恥ずかしいよっ」
すれ違う旅人の男達の視線が、アリィールの“太もも”に移動するのを何度も見てきたコロナは気が気じゃないのだった。
見る見るうちに、金髪少女の頬が赤くなり、口の片隅がグッと上がるのが分かる。
姫より遥かに背の低い狼は、目をつぶりながら叫ぶ。
「オシャレだか何だか分からないけどっ! アリィーは、今までのカッコでも十分かわいいっ。僕達は観光で来ているんじゃないんだからっ」
“浮かれすぎだよっ!!”
最後の言葉はアリィールの鉄拳で粉砕された。
「コ〜ロ〜ナーーーーー。あんたに何が分かるのよっ! 私はねっ……今まで、お父様の“露出禁止令”とか、訳分からない言葉で毎日ロングドレスしか着れなかったのよっ。街の子が流行の可愛い服着ているのを、指くわえて見ているしかなかったの。“あれは足が見えるから駄目!それは胸の谷間がチラッと見えるから駄目!!”そう言われ続けてきた私の気持ちになって……!」
白銀の狼の頭を殴りつけた金髪少女は、口をへの字にしたまま、相手の首を鷲づかみにし、中へと持ち上げる。
「ぐる……ぐぅ……」
目を白黒させるコロナ。
「そうそう! 西の国へ入ったら、人前で人間の言葉話さないでよね!! 妖精の存在は有りでも、犬が話す国じゃないんだから!!」
忠告への返事は、うめき声で返される。
(アリィール姫は、怒りスイッチに火がつくと怖いでしゅ……頼りにしていたコミュイス・ロウナードは呪いで狼にされてしまうしぃ……)
その様子を、どう収拾すべきかとオロオロする赤色の玉の妖精。
「「「……!?」」」
瞬間、三人の表情が固まった。
目標とする西の都から、数人の足音が全速力で向かってきたからだ。
「オーーーーーネーーーーイーーーーさーーーーぁまぁっっーーーーー!!」
そして、少女の甲高い声のトーンが、近づくにつれ高まってくる……
数秒後ー。
「いやぁーーーー!!」
アリィール姫は、ぴっとりひっついた女の子が自分の胸に顔をすり寄せてきたのにゾッと顔を青ざめる。
砂ぼこリを上げ、倒れ込むアリィールは短い金髪の髪を揺らしながら悲鳴をあげた。
女の子の付き人らしい女性数名はポカーンと口を開けたまま様子を見守り、状況が飲み込めない赤玉の妖精ギョクリンは、ハッと女の子の正体に気付く。
「アイユイ姫……」
その言葉に、狼の牙をむき出しにしたコロナの闘争本能が薄れる。
(アイユイ姫って……西の国の王妃の娘だよなぁ……って……アリィールの異母姉妹!)
目の前での大げさな姉妹のスキンシップに、驚いて先手が打てないコロナにギョクリン。
絹ごしに感じる少女の体温に、黒い髪を赤いリボンでポニーテールにした12・3歳頃の美少女は嬉しそう。
「相変わらず、お姉様って凛々しいですわっ。ぺったんまな板ですわっ♪」
もうちょっと歳を重ねれば、才女と言われてもおかしくないだろう賢そうな女の子は、外見からくる印象を粉砕して見せるのだった。
「はいっ☆ そうですわ、神託の女神様の御指示です」
さすがお姉様! 察しが良いですね〜と、アイユイ姫は紫色の着物の袖先を口元に当て、上品に微笑む。
「やっぱりね」
怒りを抑える為、アリィールは妹がしがみつく腕では無い方の拳をググッと握り締めた。
揺れる馬車の中は、広めとは言え密着はまぬがれない。
(僕のアリィーにピッタリくっついて……何か危険だ、この子……)
向かい合わせの席の隅っこで、コロナは狼の身体を丸めて不愉快そう。
「さすがですわ〜♪ あの山脈を一人で越えるなんて……」
尊敬に同情を込め、ため息をつくアイユイに、すかさず赤い玉から手足をピョコリと出したギョクリンが咳払いをした。
銀髪の頭にのって、仁王立ちしている。
小さな点のような黒い瞳がジーと、もの言いたげに姫二人を見つめた。
「ちっ、違うわよっ。 二人がいたから山越え出来たのっ!」
妹に押され気味な自分にハッと気付いたアリィールは、拘束する腕を振り解き、向かいの席に移動する。
無意識でコロナの頭にキュッと抱きついた。
ポッと頬を染める狼コロナ。
「……二人? 豆粒と犬が??」
クスッと微笑する顔の半分を袖で隠しながら、睫の長い瞳がチラリとアリィール達を見つめた。
青い瞳が愉快そうだ。
「そうよっ! 二人は大事な友達なんだからっ」
ムッとして睨むアリィールの姿に、すぐに弱々しそうに背中をまるめるアイユイ。
「お姉様、怒っては嫌ですっ! 私……本当の事を申し上げただけなのに……」
よよっと、泣き崩れる黒髪の少女の様子に慌て、彼女の傍により、小さな背中をソッとなでるアリィール。
「あぁ……うんと……ごめんねアイユイ。そうだよね、私が今日この国に来るのを、神託の女神から聞いたんでしょ? それで馬車でわざわざ迎えに来てくれたんだぁ〜。嬉しいなっ、ありがとう!」
一生懸命慰めようとするアリィールの姿に、コロナとギョクリンはしらけた視線。
(なんだ、この女……妹だからってアリィーを振り回しやがって)
面白くないコロナを外野に少女二人の会話が続く。
「そうなんです! ドミニオンの領主……父様とは、二週間程前から連絡がつきません……三日後には国の繁栄を祝うお祭りがありますのに……不安でした」
優しくされ、すんなり機嫌を直す少女はペラペラと話し始める。
ホッとするアリィールの瞳は優しい。
「こちらの国でも、是非お姉様の誕生会もしたかったし」
キュッと、アリィールの服の裾を掴み俯くアイユイ。
「そうしましたら、今日の朝、私の枕元に神託の女神様が……悪妖精を倒す救世主がこの地に現れるとおっしゃって、それがドミニオンの姫……お姉様だって言うから☆」
暗いテンションは、後半明るくなりギューとアリィールに抱きつくアイユイ。
「私、都の入り口へ急いで馬車を走らせましたの! 姿を見たら嬉しくてたまらなくてっ、走って抱きついてしまいました♪」
ぞぞぞーっ!と鳥肌を立てるアリィールに構わず、姉の胸の谷間に話しかけるアイユイ姫。
「悪妖精とか、さっぱり訳が分かりませんがっ! ドミニオンの話は姉様から聞けば宜しいですし、積もる話もありますから、今夜も明日も明後日も宮廷にてお休みになってくださいね」
その言葉に、げっ!と唸るコロナとギョクリン。
うふふっ♪ と、「すべすべお肌♪」と嬉しそうな言葉を発する妹。
「……大丈夫だよ。私達、当面の生活費くらいはあるからさ」
辞退の言葉を口にし、困ったように微笑むアリィール。
妹の我儘に優しく答える姿は、まさしく“お姉ちゃん”である。
「……むかつく」
「今……その犬、人の言葉を発しませんでした?」
きょとーんとするアイユイ姫、慌てるアリィールは『気のせいよっ!』妹の頭を片手で掴みギュっと胸へと押し当てる、そして見えぬ速さでコロナの頭を殴った。
漆が塗られた紅色の太い柱が、四方を囲む部屋。
丁寧に貼り付けられた紙の襖が仕切りを作る。
美しい白い花弁に緑の葉、その束を刺した花瓶は、上品な調度品の上に置かれている。
そして、部屋の中央には、場違いにも置かれた天蓋付の白いベッド。
「……おいプチ弱妖精……お前、アリィーに小銭と札束の区別くらい教えといてやれよ」
広い部屋の真ん中。ベッドの上で、狼姿のコロナは足元で正座している相手に凄む。
「……責任は感じておりましゅ……あの民宿で洋服代込みでボッタクられたようです……小銭の方を大金だと勘違いしている姫も姫ですが……」
ショボーンとうな垂れる相手に(そりゃそうだよなぁ……)責めて見せるものの内心では許しているコロナ。
「おかげで、結局あの変態姫の宮廷で世話になることになっちまった」
闇の中、ため息をつく狼。
しばらくの沈黙の後、
「教育係として恥ずかしいでしゅ……」
しょんぼりする妖精の反省の言葉に、
「まぁ、いいんじゃねぇの? 上手い夕飯にはありつけたし、アリィーはやっと寝心地いいベッドで休めるしな」
明後日の方を見ながら「気付かない俺にも責任あるしな」ぼやくコロナ。
と、和やかな雰囲気になりかけるー。
だが、突如部屋の襖が勢い良く開き、激しい音を伴って閉じられる。
カチャリと鍵もかけられた。
「……??」
月明かりを頼りに見ると、目の前には水浸し、布一枚で身体を覆うアリィールの姿。
「……」
目が血走り瞳から涙が出そうで出ていない。
パクパクと口を開いて閉じているが、一生懸命扉を背中で押さえている。
「……アリィー?」
月明かりで見える片思いの女の子の魅力的な姿……のはずだが、表情が尋常ではない。
コロナは傍により、扉越しに聞こえてくるペリペリ……襖の紙を捲ろうとする音に耳を澄ます。
「お姉様……ちょっと悪ふざけをしただけですわ……扉を開けてくださいまし」
扉越しに色っぽい小さな声が流れてくる。
ビクリと身体を強張らせるアリィールの足にソッと寄り添ったコロナは(げぇ……)唸る声を押し殺し状況を察した。
『今日は、疲れちゃったから一人にして』
「お姉様、声がしわがれてる……風邪を引いてしまわれたかも……お医者様を呼びますわ」
『大丈夫。お休み、アイユイ』
その言葉に反応して、扉越しの相手の気配は消えていく。
へたりと、その場にしゃがみ込むアリィール。
「コロナの声真似で、良く騙されたわね、あの子〜」
「……あっちだって本気で嫌われたくはないんだろ。アリィー……あの子と水浴びしたのかよ……」
呆れる声に、アリィールはムッとしてみせる。
いつもの『気の優しいコロナ』を演出し損ねた狼は、つい少女を責めてしまった。
「だって! だってぇ……アイユイが一緒したいって……私、お姉ちゃんだし……あの子に優しくしたいもん……」
こらえていた涙を瞳に浮かばせ、アリィールはコロナを見下ろした。
ギョクリンに渡されたふんわりした白いタオルを口にくわえ、水滴る頬を拭いてあげるコロナ。
「あの子、愛情表現が変なんだもん……怖くて逃げてきちゃったの」
“なんで仲良く出来ないんだろう私……”表情から見える思いにコロナは困ってしまう。
(俺が10年、国を離れている間……アリィールもいろいろあったんだな……。あの王様、昔から女は拒めないから、隣国に子供作っちまうし……本妻の子供は気を使うよなぁ)
ため息しつつ、ちゃっかりアリィールの涙を舐めて拭うコロナ。
(ありゃ、ただの嫌がらせだろ? アリィールが困るのを内心喜んでいるんだ!)
俺の女を苛めやがって! とは思うものの、目の前の少女をどう慰めようかと困ってしまう。
「アリィー……」
首を傾け、アリィールを見つめるコロナ。
(俺が、元の人間の姿なら……抱きしめて上げられるのに)
と、切なげに見つめる狼の身体が、いきなり持ち上がった。
「えっ??」
アリィールの両手に支えられた身体は、縁側へと続く扉まで移動する。
「あっ……アリィー??」
見上げれば、闇夜に浮かぶ少女の顔。
「怖いよっ……なんで睨むのさぁ〜」
怯えるコロナに、威嚇の瞳のアリィール。
「考えてみたら! コロナっ、あんたレディーの部屋に、何で居座っているのよっ!!」
バッと襖が開けられる。
ポイッと捨てられる狼一匹と毛布。
ビタンと激しい音を立て、草むらに落ちるコロナは、言葉を失った。
毛布一枚で、外へと追い出されたコロナは、諦めて縁側の下で寝ようとしていた。
寒くも無く、暖かくも無い。
とはいえ、心は寂しさでいっぱいだ。
ちょっとした事故から、人間から狼の姿へと変えられてしまった自分に、深いため息をつくコロナ。
「しかも……俺……アリィール以外の人間には、弱っちい“イヌ”にしか見えてないし……」
世間一般“狼”とは畏怖される生き物だ。
そんな訳で、首にかけられた板の効力で、狼コロナの姿は“白銀のイヌ”に、周囲には見えている。
「しかし、でかい庭だな……」
丁寧に刈られた草、広い庭には大きな池、中で泳ぐ赤い魚が動き、天井へ波紋を作り出す。
水面に浮かび上がった月が、ゆらりと動いた。
「……西の国は……文化が違うよな。妙に静かで……落ち着かない」
ぽけっ〜と、水辺を見ていたコロナは、水面に靄が浮かぶのを静かに見ていた。
それに合わせ、何となく身体が熱くなってきたような気もするが、そんな事は二の次だった。
「はぁ……だいたい。アリィールの親父殿……てか、あの美中年も“少しは考えてくれっ”だよ。西の国って20年前、自分が制圧した国だろっ……そりゃ、まぁ、暴君の後始末だったらしいけど。それで支援だか、何だか知んないうちに子供までこさえて、馬鹿すぎなんだっ!」
いらいらしてきたコロナは怒りのテンションで眠れなくなってくる。
だが……
「……!?」
靄がスッーと形を作りだした。
池の上に浮かび上がった紫の髪を持つ少女の姿に驚愕する。
「ゴースト!」
少女は長い紫色のソバージュの髪をサイドにまとめ、ひらひらのリボンがついた上下ピンクのファッションでこちらを見つめている。
物欲しそうに、プクリとした唇に指先を当てコロナへ微笑んだ。
「……!」
警戒して髪を逆撫で、四本足で立つ白銀の狼は、牙をむき出しにして唸る。
『……仲間になって……私達の……』
少女は、薄らいでいた身体を実体化させ、微笑みながらコロナへと裸足で近づいてくる。
(うっ……動けない!)
額に汗を流すコロナだったが、胸に飾られた板が七色の光を発すると共に少女の姿は消えた。
「なっ……なんなんだっ?」
光は消え、その代わりコロナの全身は寒さに支配される。
「……うぅ……」
唸る狼は、半分期待しないで縁側へと上がり、扉の隅に爪を挿し込み、力を入れてみた。
(良かった……鍵開いている……なんだったんだ、あれ? ……さすがに室内に避難だな)
こっそり中へと入り、アリィールのベッドへ潜り込もうとするコロナ。
(……寝ちゃったのかなアリィー……ごめん。本当に何にもしないから、暖かいところで寝かせてね)
白い毛布に前足をかけ、コロナは一言、言い訳の言葉を口にする。
「何にもしないからね」
「分かってるわよ……」
驚いて見つめる先には、ベッドの上に座ったアリィールがいる。
白いネグリジェに、シルクの上着をかけ、耳に金の髪を小指でかけて微笑んでいる。
「遅いよ。いつ来るのかと思ってた」
待っていたと言わんばかりの女の子の表情。
(アリィー可愛い……やっぱり一人で、まだ寝れないのかな? 山越えの時は僕がいつも傍にいたし。追い出したものの、寂しくなっちゃったのか……)
華奢な肩が愛おしさを増す。
「あのぉ……アリィー。あの、今、ゴーストが……」
「あのね……コロナは違うよね?」
えっと首を傾げるコロナの前足をソッと触って、相手の顔を覗き込んでくるアリィール。
その表情は、まだまだ幼くて頼りなげだ。
「クラウスお兄ちゃんや、アイユイみたいに……強引な事しないよね?」
不安そうに聞き返してくるアリィールに、コロナは「うん……」と答える。
出来るだけ優しい表情で、安心させる声で。
(アリィールは……外の領地に出たことも殆ど無いし、城の中以外の人と接する機会も……少なかったんだろうな。とはいえ、周りに大事にされてたから、きっとまだまだ幼いんだ)
− 憧れていた相手でも、無理やりのキスは嫌だった。
− ひさしぶりに会う妹の過剰なスキンシップに戸惑いを覚えた。
(まだまだアリィーは……恋に憧れているだけの、おしゃれを楽しみたい女の子なんだ。俺が守ってあげないと……)
決心するコロナを抱き上げるアリィール。
ぬいぐるみを抱きしめるようにして、狼に頬を寄せた。
「良かった……ずっと、それを確認したかったんだ。コロナはコロナだもんね」
「この間、一緒に寝た時は投げ飛ばした癖に……」
「……忘れなさいよっ。そんな事っ……ばか……」
やっと安心したのか、少女は狼を抱きしめながらベッドの中へと潜り込む。
そしてすぐに眠ってしまった。
「俺……犬でも狼でも無い……男なんだけどな」
シレッと言ってはみたものの、目の前で、久しぶりに見れた幼馴染の無邪気な寝顔に微笑むコロナ。
(にしても……あのゴーストは何だったんだ?)
考えるが、温かくなっていく自分の身体に満足し、すぐに意識を手放してしまった。
二人の枕元で、小さな小さな寝袋で休むギョクリンが「もぅ……食べられないでしゅ……」か細い寝言をポロリとこぼす。
朕(ちん)は海の貴婦人……アシラ
闇の波に誘われて、この地に下りた。
人が集う、この場は気持ちが良い。
朕が何をしなくとも、人が集まり、朕に生気を分け与える。
真っ暗だが、騒がしい場所ー。
あぁ……際限なく飲み込める生気……若い力は美しい。
朕はアシラ……海の貴婦人。
淡い朝の光が、背中から静かに照らしてくる。
背は低いが、緻密に作られた三角形の屋根の建物が均一に立ち並び、瑠璃色の瓦で世界の光りを受け入れる。
「何で、あそこで俺……目を覚ましちまったんだ……」
白銀の狼は、眠い瞳を開いたり閉じたり、時に欠伸をしながら宮殿の庭を歩いていた。
(いつも二度寝しちまう方だから、つい早い時間に起きちゃったんだよな……。やっぱ俺様も男だし……あのまま、すんなり寝直せるかって! だいたい、初恋の女の子の寝顔にドキドキしない方がおかしいぜ)
早朝からの散歩は、言えない煩悩を消化させるものだった。
「しかし……ドミニオンの城内も、立派なもんだったけど……ここも、凄いよな」
威厳有る建物が並ぶ城内を1時間ほど歩き、兵士が待ち構える門からちょっと離れた場所にある、巨岩が並べられた壁を軽い跳躍で越えるコロナ。
石で出来た通路に、爪音を鳴らし着地。
そこからは、風切るスピードで走り出した。
一瞬炎が自身を取り囲んだような気がしたが、それは思い違いだったらしい。
すぐに目の前に広がる、松ノ木がサイドに並ぶ情景に苦笑いするコロナ。
「……」
欠伸をかみ殺しながら城下を走る。
男は、しだいに眠気も吹き飛び、巨大な赤い鳥居の目の前で立ち止まり、背伸びをした。
「よっしゃっ! 気も済んだし、帰るとするかっ」
背の高い銀髪の青年は、赤い鎧をカチャリと鳴らし、凛々しい笑顔。
「ほぉ〜! 二枚目兄ちゃん元気がいいのぉ〜」
「おうよっ! やっぱり朝のジョギングは最高だぜっ」
大人の5倍の太さは有る円形の鳥居の足元で、屈強な身体を持つ老人達が座り込んでいる。
機嫌良さそうに話しかけてくるのを、コロナは爽やかな笑顔で返事をした。
「……おぉっ!?」
そこで、気付く自分の身体の変化。
(人間に戻っている!?)
驚くコロナをよそに、ツルツルの頭に絞り手ぬぐいを結びつけた老人達は何故か嬉しそうだ。
「坊主! この先は市場しかないぞっ」
「そうじゃそうじゃ、戦争なんか有るはずないじゃろっ」
「アホか、お前ら見てみろい。あれは式典用の飾り防具じゃ、立派過ぎる鎧なんぞ実践では使わん使わん」
「あぁ……そっかい、二日後の祭りに呼ばれているんかい? 坊主、気が早いのぉ〜」
「生白い肌に、背が高い……彫りの深い顔じゃ東洋のボンじゃ」
独特の話し方で、質問攻めの推理合戦が始まった。
気がつけば、老人達はコロナより頭二つ分低い高さから、銀髪の男を囲んで品定めを始めている。
「ほんに、逞しい腕しとるのぉ〜」
「胸板もばっちり鍛え取る」
「にしても、手先は器用そうじゃ。見ろい指先細いわい……あんれ、お前細工ダコ作っちょい、何か木彫りの物でも作るかい?」
さすがにコロナも質問攻めに顔を引きつらせる。
(勝手に防具外すなよ……何か、方言が微妙だが……王都の古株じいちゃんみたいな人達だなぁ……)
経験上、爺さん達とは仲良くしておくに越したことはない。と思っているコロナは微笑んだ。
「いや、俺。物を作るのも好きなんですよ」
ヘラと愛想笑いのコロナに『おぉおぉーーーー!!』歓声が上がる。
(はぁっ!? そんな大げさな反応っておかしくないか……てかっ、なんで俺の腕をガッチリ掴み始めるんだよっ)
老人を払い捨てるほど、コロナは不道徳な男では無かった。
「そうかそうか! ボン、わしらの手伝いしたいか〜」
「よかとよかと、そんなら駄賃もはずむ〜」
グイと、鳥居の中へとコロナを引きずっていく老人達。
「ちょっ! マジ……なんだこれっー!!」
抵抗の言葉に反して乱暴できないコミュイス・ロウナードは、鳥居の境から一瞬見えた市場街へと叫んだ。
「アリィー!」
「コロナ……よねぇ? ……急にいなくなったと思ったら、どうしちゃったの……」
神社の大きな中庭で、パッと笑顔になるコロナを、冷たい視線で見るアリィール。
金髪少女の頭の上で『人間の姿は、やっぱり怖いでしゅぅ』小さな声で呟くギョクリン。
昨日の可愛らしいカッコとは違うアリィールは、側面に金の刺繍が施された白いズボンに半そでジャケット姿だ。
後ろで結んだ短い髪を、べっ甲の簪(かんざし)で固定している。
「……いや! その何故か元の姿になれちゃって……散歩してたら大工仕事頼まれちゃってさ」
防具を脱ぎ捨て、半そでをまくり、トンカチ片手のコロナ。
頭には、絞りハチマキで爺さん達の仲間入り。
「……お人よし……もぅ……昔から、そういうとこ、変わらないんだから」
皮肉った顔で微笑むアリィールに、コロナは「あははっ! ところで、アリィールはどうしてここに?」と聞き返す。
立ち上がるコロナの胸板をツンと、小指で突いたアリィールは「分かったけど、ちゃんと連絡くらいしてよね!」上目使いで咎めた後、答えた。
「ほら、明日、祭事があるでしょ。私も、国の代表として、アイユイと一緒に笛と舞をするのよ。その練習を、ここの建物で行うの」
国の姫様らしく、招待された故の感謝の儀を、笛と舞で表現するようだ。
「そんな、付け焼き刃で何とかなるの?」
「大丈夫! 毎年している事だから。身体も覚えてるし……」
何となく和む二人の空気を、周囲の年寄りは大工道具を片手にニヤニヤと口元を歪ませながら見つめている。
ニコッと微笑むアリィールに、コロナもデレーと顔の筋肉を緩ませた。
「あららぁ〜。姉様! その方は??」
コロナにとって超幸せな時間を壊したのは、アイユイだった。
黒い半ズボンに、袖なしの着物にポニーテール姿。ちゃっかりアリィールとお揃いの簪を頭につけている。
アリィールとは違い見て分かるほど上等な生地で作られた服に身を包む少女は、先ほどまで大工の棟梁へ差し入れを渡し微笑んでいた。
「コロナ! 私の友達よ」
爽やかに微笑むアリィールに、アイユイは興味津々でコロナを見つつも姉の背中に隠れる。
「お友達なのですか? あの犬と同じ名前だから、家臣かと……」
目ざとい言葉に、アリィールは慌てて妹の背中を押した。
「ほらっ! 練習しないとね」
「姉様〜!!」
促されながら先を急がされるアイユイ。
その後を長い裾の上着を着た家臣達がぞろぞろとついて行く。
一生懸命後ろを見つめるアイユイ姫の視線が、コロナと重なる、少女はポッと頬を染め、移動しながらも建物の角に自分の姿が消えるギリギリまでコロナを見つめていた。
(なんだあいつ。女が好きなのかと思ったら、男も好きなのかよ?)
自分の顔に多少の自信を持っている(犬の時以外は)自信家コロナはヘンッ! とアイユイ姫を不愉快そうに見た後、仕切りなおしと組み立て中の物へと振り返るが
「あれが噂のアリィール姫か……」
「なんぼ偉いから言うて、わしらに挨拶一つもせんとぉ〜躾のならん子供さね」
「わしらのアイユイ姫様の方が健気で上品で愛らしい。年寄りへの配慮も忘れん誇れる子じゃな」
うんうんと、年寄り数人が意地悪そうに呟くのを、コロナは訝しげに見つめるのだった。
「わしらの西の姫様の方が最高じゃ!!」
「うっせーーー! 俺のアリィールの方が何倍も素直で可愛いぜっ」
「ガサツそうな姫じゃっ! あの短い髪は男かと思ったわいっ」
「うぜーーー。まじ失礼だろっ、それ。俺のアリィールは、ちゃんとすればもっと可愛くなるんだよっ!」
早朝からの大工仕事は、器用なコロナの黙々とした働きもあり、何とか予定の半分以上が片付いた。
それに年寄り達も感謝し、ちょっとだけ酒が入った昼食となったのだが、ほろ酔いで気が大きくなった年寄り一人の“一言”で大喧嘩となったのである。
『東の国は、わしらの国へ王を差し出すべきじゃ』
そこから始まり、後から後から出てくる東の国“ドミニオン”への悪口。
仕舞いには“アリィール姫は気に入らない!”と暴言を吐かれ、黙って絶えていたコロナの堪忍袋の緒もバッサリと切られたのである。
暴力は振るわないが、(アリィール以外への)口喧嘩になら負けないコロナの毒舌!
しまいには『つるっぱげはクタバレ!』まで吐き出し、(ツルッパゲ代表の)怒った老人数名がコロナに飛びかかる。
「こら! やめんか、お前らっ」
「大人気ないだろっ、ボンはうちらの姫様の悪口は一言も口にしておらんじゃろうがっ」
残りの屈強な体格の老人が、飛びかかる男達をいさめた。
数分後ー。
大きな松の木一つ境に、グループが二つに分かれた大工達。
「本当だったら祭りの舞台、数日前には終わっている予定だったんじゃ。ところが若い衆達が皆原因不明の病で倒れてな……寝込んじまったのよ。作業は思うように進まんし、今日は徹夜かと言う時にボンが現れてくれて助かっちょる」
台の手すりを二人で作る中、相手の男が申し訳なげに話しかけてきた。
不愉快そうなムスッとした顔でも、投げ出さず作業を続けてくれているコロナに感謝しているらしい。
「そいつら生気を吸われたんだな。俺が人間の姿になれたのも、この広場にいる悪妖精のおかげか……」
以前、悪妖精と戦う前も、人間の姿に戻れたのを思い出す。
ぼそりと呟くコロナの声は聞こえなかったのか、気の良さそうな棟梁の男は「とはいえな。あいつらの事も許してやって欲しいんさ」理由を話し始めた。。
「20年前の話じゃから、わしら年寄りには、まだまだ新しい記憶なんじゃよ」
20年前まで、西の国エルエベナンは、賢い王の政の下、成り立っていた。
ところが、ある日を境に状況が変わる。
王が暴挙に出、国を有ってはならない方向へと傾けていったのだ。
「分かってます。俺、そこら辺は詳しいですよ。女と酒に明け暮れた王は、勝てぬ喧嘩を他国に売りまくる一方で、内戦を暴力で収めようとした。それを静めたのは、喧嘩を売られた国の一つの、ドミニオン王だ」
ふてくされるコロナの表情に、ため息をつきつつ答える棟梁。
「まぁ、数々の内戦と、后で有るユウィラ王妃の計略で、王は失脚し自害。そちらのドミニオン王のおかげで、国も持ち直したがな」
そこからがいかんのじゃ。と、語る相手に黙るコロナ。
(“年寄りの話は終わるまで口は挟まない”クラウス先輩にも散々注意されてたな王都でも……けど、また、怒っちまった。俺って成長しないよな)
はぁ〜と反省しながらも、相手の話に耳を傾ける青年に棟梁の男は満足そうに頷き、またその様子を松境にチラチラと覗いている、喧嘩をした相手の老人達。
「ドミニオン王……グラスパー・ハイル・ドミニオンは、攻め入って来ようとした国を援助し、逆にわしら都民が安心して暮らせるように、見える範囲での援助を表沙汰にしなさんだ。それにはワシらも感謝し元気付けられ、一年にも及ぶ王の暴君を許し、早くに国を再興する事を誓えたのじゃ」
そこまではいい話なんだよな〜と、内心呟くコロナ。
「ところが……ユウィラ王妃がグラスパー・ハイル・ドミニオンと数年後に、子供を作っちまった」
その子供がアイユイ姫である。
黒い髪と、繊細な顔の造作は母親似だが、スカイブルーの瞳はアリィールと同じであり、まさしくドミニオン王の子供なのであった。
(俺が知る限りじゃ、王は……なんつーか。美形すぎたんだよな。しかも、男っぷりも良すぎたし……本当はかなりの皮肉屋だったけど)
むぅーんと唸るコロナ。
同じように、むむぅーーんと唸る老人達。
「グラスパー・ハイル・ドミニオンは、えぇ王じゃ……今も変わらず、わしらの国を愛してくれる」
「ワシらの国で王妃と姫を支えて欲しいんよ」
「あんなん、王に似た他国の姫様見ちまうと、わしらも腹が立つんじゃ」
いつのまにか、喧嘩相手だった老人も話題に参加してくる。
すんなり仲直りな空気に、コロナも諦めたように(しゃーねーなぁー)ポリポリと頭を片手でかく。
「それはそうと、アイユイ姫……今日は、明るい顔をしておったな」
「そうじゃそうじゃ、懐いていた茶場の頭が不幸にも……あんなん事になっちまって……沈んじょったからなぁ〜」
「可哀想に……昨日まで、姫の立場上、笑顔でわしらに接していたが、おつらそうでぇ……」
「きっと、あのアリィール姫が来て嬉しかったんじゃろ。二人が仲たがいせんよう、王妃もドミニオン王もえらく気を使って来たからな。仲良しなんじゃろ姫さん達」
そう言うだけ言うと、老人達の視線は銀髪の青年へと向いていく。
あっ? 柄悪く視線を返すコロナ。
腕を組むコロナに、同じように老人達も太い腕を組んでみせる。
「行って来い」
「そろそろ姫様達の稽古も終わったじゃろーて」
「うんだ。ボンは、アリィール姫の家臣か、アレじゃろ?」
グッと口ごもるコロナに、ニヤニヤ見つめてくる大工達。
棟梁にガシリと肩を掴まれ、建物のある方に突き出されるコロナ。
「いちゃいちゃしたら帰ってこいよ」
「いいのぉー。いいのおぉ〜! 若い者は」
後ろから刺さってくる男達の視線に照れながらも、コロナは稽古場へと向かうのだった。
(その、ドミニオン王が、今度は女神に洗脳されて、“どえらいこと”になってるなんて言えないよな〜)
目的地まで、頭の後ろに腕を組み歩くコロナ。
ふと見上げる先にある、巨大な仏像に首を傾げる。
(なんだ……あの、反対側の敷地に有る、デカイ人形……物凄く怪しくないか?)
斜めに広がっていく赤い屋根を境に見えるのは、鉛色の仏像の肩と横顔。
「……アレに……いるんじゃないのか?」
悪妖精は……とボソリと呟くコロナの耳に響いたのは、アリィールの声だった。
「もぅ……どうしちゃったのよっ! 変だよ、アイユイ……懐いてくれるのは凄く嬉しいけど、変に触ってこないでよっ!!」
「お姉様まで……お母様のように私の事見捨てるんですかっ!! 一人で元気になれって、おっしゃるんですかっ」
建物の窓から聞こえて来るアイユイ姫の反抗の声。
口調は寂しさと怒りに包まれている。
(まだ12・3歳だよなぁ……懇意にしていた老人に死なれて寂しいってやつか……)
アリィールの困っている顔を容易に想像できたコロナは、ため息をつき、稽古場の入り口へと向かう。
「お姉さまには分かりません! いつも……何事にも立ち向かっていける、強いお姉様には、弱い私の気持ちなど分かるはずがありませんものっ」
拒絶の言葉。
きっとアリィールは困りながらも、自分のふがいなさに心痛めているだろう。
入り口を、姫たちの声に戸惑いながらも守る家臣達に事情を話し、中へと入るコロナ。
「それに! お姉さまは、いつも皆さんに本当の意味で愛されてますものっ。あの、さっきの青年だって、小さな頃から私達の間にいてくれたクラウス様だってアリィール姫が大事っ……」
磨かれた稽古場の床の上を、土足で上がるコロナの目の前で、近づこうとするアリィールの手をアイユイが細い両手で振り払っていた。
下を向き、涙を流す少女は、首を振りながら叫び座り込んでしまう。
「私を本当の意味で、気遣い優しくしてくれていた……おじい様は誰かに殺されました!」
妹を傷つけてしまったと落ち込むアリィールを、睨みつけるアイユイ姫。
頭につけた簪を取り、それを床に叩きつける妹は自身を叱咤するように叫ぶ。
「四日前の事です。誰かと会う約束をしていた、おじい様は自室で……誰かと口論の末殺された……いいえ……あの切り傷は、人の物では無い……まるで獣が襲ったような爪痕……あの日、本当は私が先約で……夜の茶会を開く予定でした……そうよ!私が茶会を中止しなければ、おじい様は死ななかった」
それだけ言うと身体を震わせ、涙を流し続ける黒髪の姫。
その華奢な姫にそっと寄り添い「ごめん……ごめんね。嫌がってごめん……もっと時間を置いてから話を聞いて上げられなかった私を許して」囁くアリィール。
東の姫としての役目を果たし、敵を倒したら次の目的地へと。早くこの地を離れなければと焦るアリィールは、妹の異変に気付きつつも乱暴な物言いで事を急いでしまった。
そんな自分が許せないと落ち込むアリィール。
「……アイユイ姫が……可哀想でしゅぅ〜!!」
金髪の姫の頭で、小さな身体を震わせて貰い泣きのギョクリン。
「お前まで泣くなよ……」
(たくっ。いくら器量の有る姫様だからって、12・3の子に、死体見せるなんて……周りの大人がそんな事するから変にトラウマになるんだろっ!)
どうも、一人感動できないコロナは、諦めながら二人の姫の肩をソッと支え、よしよしと撫でる。
「これから時間を沢山割いて、姉妹で話せよ。俺は、いくらでも待つぜ」
俺って優しいなぁ〜と、一人自分に酔うコロナ。
「言われなくても、そうしますっ!」
ところが、そんないいかげんなコロナの様子に感づくアリィールは、片手でアイユイ姫を抱きながらコロナを突き飛ばした。
「なんだよっ! 俺、慰めてるじゃんっ」
「なーーーんか、癇に障るのよっ。だいたい人間になったら態度大きくなってる気がするよっ、コロナっ」
見破られている!
焦るコロナに、軽蔑の眼差しのアリィール。
(俺……アリィールの為を思って……)
ガックリな青年はさておき、姉の懐で妹は頬を染め感動し、ポーとした瞳でアリィールを見つめている。
「お姉様も……本当に、私を愛してくれてるのですね」
真剣に妹の心を守ろうとするアリィールの姿に、アイユイは涙目で微笑んだ。
「「「「えっ!?」」」」
めでたしめでたしな空気を、瞬時にして崩したのは、稽古場を揺らした振動。
窓へと近づくと、あの仏像を中から壊しながら、巨大な蛸足に絹を纏った女の化け物が暴れ始めようとしている。
『感じるぞっ!! 朕の眠りを妨げ、朕を殺そうとしている者は何処じゃ!』
耳をふさぎたくなるような悪妖精の咆哮に、全員が言葉を失う。
アリィールが父親の剣を持ち走り出す。
コロナがその後に続いた。
数十分後、巨大な悪魔はアリィール姫とコロナの活躍にて、退治されたのだった。
翌朝ー。
王宮本殿の入り口。
物々しい警護がされた本殿の分厚い扉の前を出たアリィール。
西国の習わしによる正装をした少女は、淡い化粧を施し頭に冠をつけ、疲れた表情。
入り口で待っていた、狼コロナとギョクリンはハラハラした瞳でアリィールを見つめた。
「大丈夫! 王妃も、アイユイの気持ち分かってくれて、今二人で抱き合ってる」
結果報告を二人にし、アリィールは嬉しそうにウインクした。
コロナの頭の上で、はしゃぐギョクリン。
実は、アリィール姫。
昨日のうちに、王妃への謁見を申し出、アイユイ姫と母親で有る王妃の、和解の場を作ったのだった。
王宮の通路を離れ、人気の無い場所に移動し、アリィールとコロナとギョクリンは話し始める。
「難儀でしゅねぇ〜。政で忙しい王妃に会う為に、これほど時間が掛かるとは……アイユイ姫も可哀想でしゅ」
「だから自分の“大事な”時も、母親に気を使うんだね……なかなか親子は会えないから溝が出来ちゃうし」
優しい表情のコロナに、微笑むアリィール。
「良かったぁ……コロナ、いつもの優しいコロナに戻ったね」
ドキリと身をすくめ『えっ……そうかなぁ。僕、変だったぁ〜?』とごまかすコロナ。
「うん、何だか凶暴な顔してたもん。人間になると変になっちゃうのかな〜?」
うーんと首を傾げるアリィールは、「まっ、いいや。コロナはコロナだもんね」呪文のように、あの言葉を口にする。
そして、そっと、掌に父親の剣を乗せ、二人に見せた。
「アリィー。これ……」
「剣の柄に、赤色のルビーが二つ、はめ込まれているでしゅ」
今はただの鉛と化した短剣だが、戦闘時、父親の剣は金色に光り攻撃力を増す、時と場に合わせ形を変える事もあるのだった。昨日の巨大な悪妖精との戦闘時は、口に槍を持つ大砲へと変化している。
「ドミニオン家に受け継がれてきた剣だけど……こんなルビー元々はめ込まれていなかった。もちろん、はめ込む溝さえ無かったの」
「つまり、悪妖精を倒すと、剣の柄に倒した数だけルビーがはめ込まれているって言いたいんだね」
理解するコロナに、頷くアリィール。
不思議そうにギョクリンが小さな身体の首を傾けた。
「でもぉ……一体目を倒した時に、気付いていたんじゃないのですか、アリー?」
無垢な瞳に、アリィールは「あっ……」と申し訳無さそうにコロナを見つめた。
「……アリィールは、さっき気付いたんだよね」
すかさず、コロナは狼の頭を持ち上げ、微笑んでみせる。
その様子にギョクリンだけが、すんなり納得し、アリィールは黙って俯いてしまった。
(当たり前だよアリー。久しぶりに会った俺を、すぐに信用出来ないのなんて、人間だったら当たり前の感情なんだから)
そっとアリィールの足元へ擦り寄るコロナ。
「ごめんなさい……」
両膝を突き、コロナをそっと抱きしめる金髪の姫。
「それよりアリィ−ル。明日の祭事頑張ってね。僕、楽しみなんだ」
「うん……」
弱々しい返事に合わせ、コロナは心底嬉しそうに瞳を閉じた。
(俺だって……10年アリィールと会えなくて……君が変わってしまったんじゃないかと不安だった。だけど、今。いろいろ有ったけど、互いを受け入れられたんだよね)
それは、淡い光が灯る中での大切な出来事。
次の日ー。
「元の狼姿の方が、姫のためにも安全でしゅー♪」
嬉しそうに、空を飛び回るギョクリンを下から睨みつけ「妖精って食ったらうまいかなぁ〜」意地悪そうにうそぶくコロナ。
ぷよっ!と、小さな液体の身体を震わせ、明後日の方を見る宝玉の妖精。
「すっ、すごいでしゅーー! お祭りですよー。市場の中心に昨日コロナ達が作った舞台が置かれてましゅー。豪華でしゅね〜♪あい!」
沢山の人が集まっていく市場の入り口。
コロナ達も、アリィールの勇姿を見るため、夕日を背に物々しい旗が立つ門構えの中を入っていった。
「この間のアリィーみたいな可愛いカッコをした女の子が沢山いるでしゅ……和洋折衷って言うのです!」
そう呟くギョクリンはショボーンと表情を暗くし、コロナの頭の上に座った。
「アリィー。大丈夫でしょうか? 昨晩は熱を出して、寝込んでしまったのです……無理しないで欲しいのですよ」
くいっとコロナの銀髪をひっぱり「やっぱり、僕らもアリィーと一緒にいるべきでした」と反省するギョクリンに「いや、それはいい」コロナは否定の言葉を口にする。
「まずいだろ。東の国の姫様のお供が、お前のような半人前の妖精と、柄の悪そうな犬じゃ」
人ごみの中を通るコロナに、ギョクリンは「でしゅね。客賓が犬じゃ……」自分は無意識に排除し、呟いた。
その様子にコロナは諦めたようにため息。
(こいつも、かなりの天然ボケだよな……てか前向きすぎだろ。しかし有り得ん。ギョクリン自身は気付いていないが、こいつ二回りくらいサイズでかくなっている。姫だって、二週間ほど前は王の剣を使ってからすぐに倒れていたのに、今回はだいぶ時間を空けてから体調を崩した。身体に少しずつ耐性が出来ているのか?)
急激な姫の成長に、コロナは心配で仕方が無い。
「急がなくていい。アリィール……」
思う心を言葉に込めたと同時に、歓声が上がる。
夕日が沈むと同時に、演舞が始まった。
闇色の松明が、広い舞台の四方に置かれ、手すりや踊り場へ飾られた複雑な模様の布が輝く光を浴びて上品に姿を現した。
幾つもの小さな鈴が飾られた杖を持つ巫女達がそれを揺らし、音を響かせる。
シンーと静まり返る中、現れるは東と西の姫。
だれかが「綺麗だ……」うっとりと感嘆の声をあげる。
その言葉は連鎖を作り、誰もが心を奪われた。
舞台の中央に置かれた、円形状の木椅子に座るアリィールとアイユイ。
美しい瞳を静かに閉じ、姫たちは銀色に輝く横笛を演奏し始める。
「アリィー……」
ポッと頬を染めるコロナにギョクリン。
肢体が上品に現れる金の竜の模様が彫られた黒いインナー。その上をスカイブルーの光り輝く透明の着物が、青い帯を境に花びらのように広がっている。
結い上げた姫達の頭には、あのべっ甲の簪が飾られていた。
「……」
無垢な瞳を持つ美しい姿の少女達の演奏に誰もが心を奪われ、次第に言葉を失う。
そして、横笛の前座が終わると、次は天女の羽衣のような生地をまとい踊りだす。
鈴の調子に合わせ、クルリクルリと身体を舞わせる姫たちに合わせ、笛による伴奏が続く。
色っぽく睫を揺らし、微笑むアリィール姫の様子にガチリと歯を鳴らすコロナ。
「……そこまで、可愛くなくていいのに」
ぼそりと呟き、アリィールを独り占めしていたい狼の欲求は、演舞終わりの歓声により打ち消された。
「東の姫さんも、なかなかのもんじゃい」
「うんだ。さすが、アイユイ姫の姉上じゃ」
「これからも両国の繁栄を祝う気持ちを大事にせんとー」
舞台から、ちょっと離れた屋根の上、高みの位置から覗くコロナ達の足元では、昨日共に作業をした老人達が満足そうに頷いている。
先ほどまで、主賓の席にいたのか、他のラフなカッコをした者達とは違い、黒い上着に上質な着物で身を固めている。
「分かってんじゃねーか」
ヘッと、偉そうに大工達を見下すコロナ。
そして舞台の主役は、闇夜に光る姫達ではなく、数十人にも及ぶ家臣を従えるユウィラ王妃へと変わる。
今宵の祭りへの、祝いの言葉を述べにきたのだろう。
濡れるような艶の有る長い髪、頭には幾重にも重なる宝石が飾られた冠、黒に赤いラインがあしらわれた美しい着物姿。
「凄い美人だ……かなり年いっている筈なのに……若く見える……」
思わず口にしてしまう程の、絶世の美女の登場。
「あっ……肩に乗っているのは、同族の方でしゅ……あの妖精のおかげで若作りなのでしゅよ」
見ると、目を細め上品に微笑む王妃の肩には、掌サイズの赤色の竜が鋭い瞳を伴い座っている。
コロナがプッと笑った。
「ありえねーだろ、お前。あの気品の塊の赤竜と自分を同一視すんなよな」
馬鹿にしたように言う狼の頭の毛をひっぱり、ギョクリンがムゥーーと頬を膨らませ抗議する。
「分かってないのは、不良狼でしゅ! 僕は赤い玉の中に魂を置いているから“玉の妖精”と呼ばれていましゅが、本当の姿は赤竜の長でしゅよ。偉いんでしゅっ☆」
ふふーんと鼻を尖らせるギョクリン。
へいへい……適当に話を流すコロナ、だが、すぐに自身の身体に異常を来したのを感じる。
(身体が熱い……これは……)
「くっ!」
燃え上がる炎から避けるため、首を横に勢い良く一直線で振り、ギョクリンを遠くへ飛ばすコロナ。
数秒後、瓦の上には、銀髪の青年の姿が現れた。
驚く言葉も無く、下では誰かの叫ぶ声。
「……なんじゃあれはっ!」
「紫の髪の子が、兵を槍で突き飛ばしながら、女王へ向かっている!」
声は、下からの老人達のものだった。
長い紫色のソバージュの髪、ひらひらのリボンがついたピンクのスカートを揺らしながら、人ごみを切り倒し現れた少女。
「あれは、池の上に現れたゴースト!!」
瓦から飛び降り、悲鳴飛び交う人ごみを掻き分けるコロナ。
腰の剣を片手に、目的地近くでジャンプすると壇上の上へと上がる。
「コロナ!!」
アリィールはアイユイ姫を守りながら、壇上を降りようとしているが、家臣や兵の人の群れの中で上手いように動けない。
「アリィール!」
叫びつつも、手の届かない相手を諦め、近くにいる紫の髪の少女を一睨みしたコロナは、目標物を変えた。
槍を持ち、無言で兵を突き殺していく血まみれの少女目掛け、剣を振り下ろす。
「!?」
驚いた事に、コロナの剣を受け止めたのは、相手の少女の細い片手だった。
鈍い音を立て、服は破れるが血はあふれて来ない。
コロナは顔を引きつらせつつも、剣の構えを止めず、次の先手とそれを縦に振り落とす。
今度は、槍で受け止める少女。
「ふふっ……仲間になってよー」
大きな瞳を瞬かせ、コロナと向き合う少女が呟く。
(やはり……こいつは、あの時のゴースト!?)
戸惑うコロナだったが、少女への攻撃は止めない。
「ユフィラ王妃!こちらに」
家臣の誰かが、王妃を守るため動いたのを察し、次は迷い無く攻めるコロナ。
「!!」
その様子に「ゴーストじゃないからね」一言いいつつ、攻めをかわす敵。
と、その時だ。
「黒い……狼!!」
誰かが叫ぶ。
そしてアリィールがアイユイから離れ、女王の前へと出る。
コロナが振り向く瞬間、女王と家臣、そしてアリィールの目の前に立つ黒い狼が、口から氷の爆風を吐き出した。
「アリィー!!」
叫びが止まぬうちに、舞台の上には氷の肖像が出来た。
シンーと静まり返る世界。
誰もが言葉を失う中、黒い狼と紫の髪の少女は見えぬ速さで姿を消す。
残された者達は、愕然とし、しばらくした後状況を把握し始めた。
それから一週間後ー。
「東の国が異常な状態で有る事も良く分かりました。気をつけますわ。私! 頑張りますから、大丈夫です!!」
物々しい警備を従えたアイユイは、港の入り口でアリィールに叫んでいる。
白い革のジャケット、黒いズボンにロングブーツ姿のアリィールは「その調子よ!」グッと妹の両手を掌に包みウインク。
(何が“大丈夫”だよ……びーびー泣いていたくせに……て、あの年だったらそんなものか)
他の臣下も皆、姉妹の別れに、心打たれ目を潤ませているのに、コロナだけはしらけた顔。
事件後、元の姿に戻ってしまった狼は、潮風を顔に受け嫌そうに瞳を閉じる。
(はぁ〜。あれから七日か……王妃達が氷づけにされ、何故かアリィールだけは無事。まぁ、俺としてはホッとしたけど、西の国は騒ぎになるし、それを収める為に臣下は右往左往だし……アリィールはアイユイ姫と寝食共にして慰める日々だし……やっと立ち直ってもらって今日出航だぜ)
うんざりなコロナ。
「とはいえ、西の国の援助で船一隻出して貰えたんだから良しとするか」
「本当に、嫌な奴でしゅね不良狼」
ぼそりと呟く狼に、嫌味なツッコミ。
「お前……俺を怖がっているくせに、はっきり言うよな」
コロナの鼻先に乗るギョクリンは、ツーンと明後日の方を見てべーと舌を出しながら、コロナを睨んだ。
「アリィーは、か弱い姫を元気付けて、しかも氷づけにされた王妃を助けるために、僕らを成長させるのです! 立派なのですよっ」
強気の瞳に「だったよなぁ〜」と嫌そうに呟くコロナ。
「王妃の……お前の仲間の妖精が、氷の魔法を中で緩和させているんだってな……アリィーの面倒事増やすなよ」
シラケル瞳にギョクリンはキッー!と叫ぶ。
「あの魔法は強力なのです! 女王の力で成長した赤竜は大きな力を持っていたのに、王女達の身体を中で維持する事しか出来てないのです! だから外側から、アリィールの力に合わせて成長した僕ら妖精が、補助して助けるのでしゅよ!」
自分の使命を認識するため叫ぶギョクリンの鼻息は荒い。
「もう黙れ! お前」
吼えるコロナは、ギョクリンを諌める。
「……こらっ! 何しているのっ、船に乗るよっ」
アイユイ達と別れたアリィールが、見上げるほど大きな船の架け橋を先に上がる。
「おいてくぞーーー」
立ち止まりコロナ達に微笑むアリィール。
走って追いつくコロナ達。
「クラウスお兄ちゃん……西の国にはいなかったね」
そして近づく相手へ不安そうに呟くアリィールに『大丈夫だよ。きっと会える』優しく微笑えむコロナ、その言葉に「だよね!」元気付けられる金髪の少女。
「そういえばアリィー、あの和洋折衷の可愛い服は着ないのですか?」
甲板の手すりを掴むアリィールに、少女の肩に乗ったギョクリンがつまらなそうに問う。
「あっ、いいの。おしゃれとか……そういう時じゃないしね……」
そんな二人の会話を耳にしながら、考え込むコロナ。
(あの黒い狼と少女は何だったんだろう……それから、アイユイ姫の知り合いが殺された件も気になる。死体に獣の爪の後って……)
潮風を受け鬣を揺らす銀の狼は、自身の不安を胸に秘め、広がる真っ青な海の水平線を見つめた。
二の旅 − 完 −
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